具体的、の界隈

<園だより「きのねっこ」2025年10月号掲載>

 先月、具体的なこと書こうと思って紙面が尽きました。。。
 さてその続きを書きたいのですが、んんん…そのとき何を書こうとしていたのか、ぜんっぜん覚えていないという…。

 さて、先月から今までの間にこんな出来事がありました。
 9月、連休を利用して、いつも習ってる先生と違うピアニストの方のワークショップを、ピアノ弾く人何人かで受講しました。我々が教わりたいことは、ひたすら具体的。ひたすら現世利益。
 「〇〇という曲の××小節目の和音はどんな展開形でやればカッコいいか」とか「誰々さんが歌う時の伴奏は。どういうタイミングでどんな和音を弾けばジャズっぽいのか」みたいなことが知りたいんですね。

 ところが、その先生、、少し見本弾いてくれただけで、後のほとんどの時間を費やして、「正解はない」ということを延々お話ししてくださるんですね。「朝起きて、窓を開けると、鳥の声、風が木々の葉を揺らす音、管理人のおばさんが掃除をする音、すべての音が何一つ邪魔し合わずに調和していて美しい朝となっている」こととか、「壁に向かって弾いて、自分の奏でている音を見て、その明暗や広がり、息遣いを感じよ」とか「エモーショナルなことを音楽に乗せて発信しなければならない」こととか「言葉で話すように音楽のボキャブラリーで語る」ことなど力説。
 そして最後に「正解はないんだよ」「その時自分のできることを出し切ったらそれでいい」。。

 わたしは、自分のあさはかさが恥ずかしくなりましたね。なんだかんだ言って、心の底では、すぐに役立つ弾き方〜とか、〇〇みたいに聞こえるウラ技〜とか、手っ取り早くできるようになることを期待しているんです。モテたくてエレキギター始めた中学生となんら変わりないジャン!

 そういえば、何ヶ月か前に言ってたじゃないですか。子どもが変わる魔法の声かけなんてありません、自分の言葉で誠実に探っていくしかないですよと。
 それが特大ブーメランになって帰ってきたというわけです。

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